↑ 最初の写真同様1978年8月に撮影されたホームステッド空軍基地でのラインナップの写真。
↑ 1980年7月ヘクターフィールドで撮影された93rd TFS F-4C/64-0922。迷彩色がフロリダの強い日差しで大分退色を始めている。「AFRES」の文字が黒に変更されている。
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F-4C 93rd TFS / 482nd TFW AFRES
(F-4C 1978~1983)
米空軍の予備役部隊は、1978年から1991年までの14年間に5個のファントム飛行隊を運用していた。その中で一番最初にF-4Cを採用したのが、フロリダ州のホームステッド空軍基地に本拠地を置く第93戦術戦闘機中隊”Makos”であった。1978年からF-4Cを運用し始め、D型に更新して1983年まで6年間使用した。2023年時点でもこの予備役部隊は健在で、鮫のシルエットの入ったF-16Cを運用しているが、一貫して尾翼に書かれてきたテールレターは”FM”は"Florida Makos"を意味するのだろう。"Mako"とは青鮫の事で、ニュージ-ランドの原住民マオリ族の言葉が起源らしい。因みに青鮫は鮫科の中では最も泳ぐスピードが速く、メタリックブルーに輝く皮膚が美しいのでブルーシャークとも呼ばれるが、それほど獰猛な鮫ではないそうである。尚 フロリダ州地元のバスケットチーム名にも”Makos”が使われている。(2023年 7月記)
↑ 93rd TFSのF-4Cの中で珍しいエアクラフトグレー色の機体をイラストにしたが、この機体も部隊の中では恐らく試行的に塗られただけで、飛行隊全体には波及しなかったと思われる。但し、インテークのインシグニア尾翼の小さく書かれたテールレターとチェッカーラインなど、シックなデザインはファンを魅了する。
Wings
↑ この飛行隊で最も有名なF-4C/64-0829。93rd TFSを傘下に置く482nd TFWの司令官機に指定されたファントムで、1967年5月20日 北ベトナム上空で2機のMig-17を撃墜した機体である。インテークにはベトナム戦争時より遥かに大きな撃墜マークを記入している。1967年5月20日当時 この機体に載っていたのは、伝説のエースで第8戦術戦闘航空団の司令でもあったロビン・オルス大佐である。彼とステファン・クロッカー中尉のペアが、空対空ミサイルで仕留めた成果。オルス大佐はこの機体に「SCAT XXVII」と名付けていたが、彼が第二次大戦で最初に乗ったP-51から数えて27番目の機体だそうだ。
↑ 1978年9月に撮影された93rd TFSのF-4Cの列線(ラインナップ)。配備されたばかりの頃の写真であり、ラインナップしている機体は、全てが前期ベトナム迷彩のようである。同隊のF-4は、多くがスペインの在欧米軍トレホン空軍基地の第401戦術戦闘航空団(401st TFW)で使われていたC型で、401st TFWがF-16Aに転換する予定だったので、余剰の機体が回っていたようだ。
↑ 1981年5月ホームステッドで撮影された同隊のF-4C/64-0915。エンジンの吸気口付近に2本のチェッカーラインが入っている。この機体は1983年以降オレゴンの114th TFTSへ移管されたようである。
↑ 1979年7月デイトンの航空ショーに展示されたF-4C/64-0888。この頃までは「AFRES」の文字は白だった。
↑ 1980年7月ホームステッドで撮影された同隊のF-4C/64-0915。シリアルナンバーの一致から上部組織である第915戦術戦闘機グループ(915th FIG)の文字が尾翼に入れられた。915th FIGは、後にADCのTAC組み入れと同時に閉隊し、482nd TFWに役割を引き継いだ。
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↑ 1982年3月ホームステッドで撮影された同隊のF-4C/64-0829。多少無理やり感があるが、同機のシリアルの当てはまる部分を使って第482戦術戦闘航空団の表記にしてあり、胴体には3本のチェッカーラインが入っている。このF-4C/64-0829はベトナム戦で第8戦術戦闘航空団に所属し、1967年5月20日北ベトナム上空で2機のMig-17を撃墜している。93rd TFSはこの翌年(1983年)からD型への更新が始まっているので、C型は見納めとなる。